♱私とあなたをごっちゃにしてはいけない♱

「私が頑張ることであなたを幸せにしたい」

「私が頑張ることでみんなが幸せにしたい」


って、ある意味危険な思想だよなぁ。

と私が思ってるって話。

というか、これってほんとは


「私が頑張ることであなたが幸せになれば、私が幸せ

「私が頑張ることでみんなが幸せになれば、私が幸せ


なんだよね。

敢えて言葉にしなくとも、“for you”のあるところに必ず潜んでる“for me”は自覚した方がいい。

「あなた」や「みんな」のためかもしれないけど、結局「私」のためだよ。


どうも“for you”に傾きすぎる人は


「あなたが頑張ってくれたおかげです。ありがとうございます。」


っていう、人からの「感謝や評価」をガソリンにして生きてるんだわ。

まぁ、人に喜んでもらえたときは誰でももちろんうれしいし、実際ガソリンにもなるんだけどね。

なのに、なんで危険な思想だと私が思うかというと


これって裏を返せば

私が頑張ったからにはあなたは幸せになってくれないと、私が幸せになれない」

ってところに繋がってしまうワケですよ。


「幸せ」を相手に「求め」て、結局しがらみを与えてるんだよ。


親子間とか、上司と部下の間にこういうこと起こりやすいよね。


「あなたの学校の成績が伸びないのはお母さんの努力が足りないからね…。」

「お前の仕事の結果が出ないのは上司である俺の力不足だな…。」


こうやって「自己否定」の形を取りながらかけてくるプレッシャーの気持ち悪いことといったら!


こういう言葉が本当に子どもや部下のためのものなのか、確かめる方法ありますよ。


こういうこと言われたときに

「そうだね、お母さんの努力が足りないね。」

「そうですね、あなたの力不足ですね。」

って、そのまんま同調するの。

絶対嫌そうにするから。


本人が言ったことをそのまま正確に反芻したのに嫌がるから。


本心は、こうやって自己否定して見せることによって「反省」とか「努力」とか、はたまた「感謝」とか

何かしらを「求めてる」からね。


けどさー。

成績が上がるとか、仕事の成長とか

ましてや「幸せ」とかって


本人のタイミングでしか起こり得ないことで、「私」がいくら頑張ったとて、なかなか「私」の思惑どおりにはいかないもんです。


そしたら今度

「プレッシャーに感じて焦らなくてもいいよ。あなたのタイミングを待つから。」


とか言うのよ。

いや、待つな!笑


待ってる間、ずっと体重(プレッシャー)かけて寄りかかり続ける気か!


そんなことしてる間に、自分の分の幸せは、自分自身で面倒見た方がいいと思います。


だから結局さ、生きてくガソリンを自分で生み出すことができない人

人からの「感謝や評価」を過剰に欲して人に体重かけちゃうワケよ。


じゃあ

生きてくガソリンを自分で生み出す

って、どうやると思う?


長くなりすぎたのでここで一旦切ります。笑


続き↓↓

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