♱欲望にちゃんと従う♱

この記事は、これ↓↓の続きです。めっちゃ日にち空いた。

生きてくガソリンを自分で生み出す



って、どうやると思う?



簡単。

それは、自分の欲望に常に従うこと。





うぅん、ウソついたな。

ぜんぜん簡単じゃないわ。難しいわ。



「欲望のままに生きる」

なんてこと、ほとんどの人が自分に許してないと思う。



そもそも「欲望」っていう言葉の響きが一般的にあんまり良いイメージないけど、どうしてそうなっちゃったんだろう?

「欲する」と「望む」って悪いこと?





調べてみたら、欲望は



仏教では捨てるべきもの

キリスト教ではより高い次元に昇華させていくもの



として扱われてた。



仏教の教えでは



お金を稼ぎたいと思うことも

物を欲しいと思うことも

美味しいものを食べたいと思うことも

好きなことをやりたいと思うことも



ぜーんぶダメなんだって。

そういう気持ちは苦しみの原因なんだって。



じゃ、仮にすべての欲望を捨て去って

あらゆる苦しみから解放されたとしましょうよ。





生きてる意味あんのか??





って思うんだけど。



そもそも仏教は生きてること自体が苦行っていう考え方がベースだからそうなるのかな?

(そして、死後、極楽浄土に行きたい、っていうのは欲望じゃないワケ?)





日本人って欲望は捨てなきゃって思ってる人多いよね。

この国には仏教の思想が根付いてるんだなぁ。

おうち単体では無宗教だったとしても、この風土で育った人のほとんどが、「欲望」に対して罪悪感があるんだろうなぁ。





でも、本当は「欲望」こそがモチベーションの源泉。生きてくガソリン。

人間、何かを欲しがるからこそ

人生の階段を上れる。歩みを前に進められる。



ちなみに

欲望はできるだけ抑えないといけない、と思ってる人って

欲望=目先の快楽 って思ってるんじゃないかな?



違うよね。



自分の「本当の」欲望をわかっててそれを満たすことに向かってる人は、目先の快楽を取らないこともあるよ。



目先の快楽に振り回される人生は虚しいけど

欲望に振り回される人生は最高に幸せだよ。





でも、この根付いた「罪悪感」を越えてくことはほんと簡単じゃない。



やらなければならないこと より やりたいこと を選んでいく難しさ。

自分の欲望を満たすためには誰かの期待を裏切らなきゃいけないこともある。



その勇気が出せない人が、「感謝や評価」っていう人からもらえるガソリンだけで生きようとする。

もらえなかったら文句を言う。



欲望や目先の快楽どころか、罪悪感に振り回されてる状態。

でもこれはけっこうありがち。





自分の「本当の」欲望が何なのかを知るのには、時間がかかる。

究極を言えば死ぬまで探し続けるもの。

でも、ちゃんと探せば徐々に見つかっていくもの。



少しでも見つけて、それを正しく満たすような生き方をしてるときは

ガソリンは人からもらわなくても自分自身の中から湧いてくる。



っていうか



「欲望って抑えずに満たしていいんだ。」

ってわかっただけでちょっと湧く。笑

(ちなみに「目先の快楽」のガソリンは持続力なし)


ほんとの欲望の見つけ方は



自分観察。

自分との対話。



どのタイミングで、何を感じたか

自分に向けてアンテナを張る。



自分をもっともっともっと知ること。



ある意味、修行ですな。

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